ラクダで訪ねた砂漠の遺跡  
     
   目的の阿克斯皮力古城の遺跡は砂漠の中にひっそりと佇んでいました  
     
     
    中国西域に何度も訪れている九州の中本乗馬クラブの方方に誘われ、タクマラカン砂漠を駱駝に乗って、砂に埋もれた遺跡を訪ねました。モンゴルの草原を馬で踏破したり、天山山脈の氷河まで馬で登ったりした冒険好きの隊長に引率された元気な熟年集団です。
今回ラクダの旅を選んだのは今年5月にNHKが放映したシルクロードの旅「熟年ラクダ隊タクマラカン砂漠を行く」に刺激されたのかもしれません。
ラクダはNHKの探検隊と同じウィグル族のラクダ屋を使ったので17頭のうち15頭までが探検隊に参加したベテラン(?)のラクダでした。同じなのはラクダと年齢構成ぐらいです。前者は11名で平均年齢63歳、こちらも11名で女性が4名加わりましたがそれでも平均年齢は少し若いだけのようです。しかし、その他は大違いで前者は中国隊と共同で総勢30名が47頭のラクダを使い冬の砂漠を73日かけて横断したのですが、我々は真夏の砂漠とは言うものの、往復7時間程の行程をラクダで砂に埋もれた遺跡を訪れただけです。それでも砂漠は強い感動を与えてくれました。
 
     
    無知な旅人の勘違い・その1 最果ての地は近代都市  
  私はこの旅に誘われるまで、敦煌や楼蘭の先はすべて遊牧民の草原と豊かなオアシスが点在する砂漠と思い込んでいました。
今年6月訪れた江戸博物館のシルクロード展では歴史的な知識だけが充足されていたようです。
従ってこの年で幻の都とロマンあふれる西域の地に行けるなどと思うだけで、出かける前から心が高ぶリました。しかし、この旅で学んだことは、シルクロードは歴史を回顧するロマンの地であると同時に世界の変化に追随し急速に変化している活動的な地域であることでした。
 
   
   
 
   紅山公園から見たウルムチ市街  
   上海で乗り継ぎ、福岡から10時間以上かけてたどり着いたウィグル自治区の区都ウルムチは人口200万の近代都市で、高層ビルが林立し、シンガポールのようにきれいで清潔な街並みでした。はるばるたどり着いた辺境の地というより、先進国の都会に舞い降りた感じです。街を歩く人々の服装も綺麗で、穏やかな表情から生活をエンジョイしている雰囲気が感じとれます。
急速に繁栄した秘密は近くの砂漠で石油や天然ガスが採れるからです。
十数年前のウルムチは、イスラムを信じるウィグル人を中心とした人口20万人ほどの町でした。近くの砂漠の地下に石油や天然ガスが発見され、開放政策によって経済発展したのだそうです。見方を変えれば、地下資源の豊富なこの地域が分離独立しては大変なので、漢民族の大量移住が政策的に促進され、10年ほどで7割が漢民族からなる巨大都市に成長したともいえるでしょう。その一方、都市では、経済など主要なところは漢民族に抑えられて、ウィグル族は片隅に追いやられ、ブームタウンにもかかわらず職も不足するらしいで
 
   
     
 砂漠の中の液体燃料の送油管敷設  石油の採掘場  消費地に向け渓谷を走る石油輸送の列車
 
     
   無知な旅人の勘違いその2 ラクダは楽じゃない!  
   ラクダの背の左右に平行に棒を置き、棒の上に毛布や布団などのクッションを敷いて、コブの間に人が座って乗る。大股で歩くため揺れが大きく、バランスをとりにくい。馬の鞍にあるようなくつわがないので足を踏ん張れない。前後に手すりのような金具がある。振り落とされないようにいつもそれをつかんでいる。砂丘の下り坂は特に大きく揺れるので必死にしがみつく。お尻がすこぶる痛い!ホテルに戻ったときは内股が痛むし、お尻の両側は瘤のようにはれていた。ラクダは楽じゃない!砂漠に大きく影を落として砂丘の尾根を進むらくだの隊商はロマンチックだが、本当は大変だったのだろう。
お尻の痛いのに慣れてくると、地上3メートルの高さから、ゆったり移動しながら目にする砂漠の景色はすばらしく、時間や暑さをも忘れさせてくれる。いくら景色がよくても手は離せない。その上ゆれるので写真が撮りにくい。ラクダは6頭づつ繋がっているので。馬のように自分だけ自由に止まって写真を撮ることが出来ず不便だった。・やはりラクダは楽じゃない!。
 
   
   
 ラクダ屋は50キロ先の基地から
朝早く来て待っていた
 、心配していた砂嵐も吹かず快適な旅でした
 
   
   
 阿克斯皮力古城の城壁の遺跡
漢の後期のものでウテン国の出城跡だと云われている
 阿克斯皮力(アクセペル)古城
の標石で
 
 
 
 仲間に優雅な人がいて簡易茶道具を持ち込み砂漠の野点を楽しみました。私が最初に頂き、現地の人がそれを真似し、ちょっとした文化交流としゃれ込みました。飲んでいるのは駱駝屋の隊長です  
 
 
 
   
 さあ戻ろう 帰りも途中で一休み 
 
 
  「チョック、チョーク」ラクダをなだめたり、座らせたりするときにラクダ使いがつかうウイグル語だが我々には「チョー、チョー」と聞こえます。今回旅を共にしたラクダは前にも述べたように大部分がベテラン(?)のラクダだが私の前のラクダは新米で2頭の若造ラクダの1頭だという。若く元気なだけになかなか人の言うことを聞かない。人が乗ろうとすると嫌がってか、すぐ立ち上がる。そんなときは2人がかりで足にロープを巻きつけラクダを強制的に座らせていた。風で運ばれた砂が、大小さまざまな砂丘となり、波のように広がっている。ラクダ使いは‘波’の頭を縫うようにラクダを誘導したり、砂丘をさけて遠回りしたりして目的地に近づいて行きます。幸いなことに心配していた砂嵐が吹かなかったので、砂漠の景色を堪能できました。それでも、3時間ほどで遠くに人工物らしい影が見えたときは、これでお尻の痛さから開放されるとほっとしました。その遺跡は砂漠の色に同化しているが、平らな丘は確かに人工物だ。近づくにつれその全容がはっきりしてきました。昔この地方は豊かなオアシスで集落が栄えていたらしいです。阿克斯皮力古城の建設の一番早い年限は大体紀元前2世紀のころだといわれています。
阿克斯皮力(アクセペル)とはウィグル語で白色の城壁という意味とのことです。玄奘がウテン国を訪ねた頃は砂漠化が進み、オアシスも小さくなっていたようです。この城は当時の出城の一つになっていたそうです。現在残っている城壁はこの時代のものだという。城壁の周囲は7〜8キロメーター。大部分は既に流砂に埋められるか風化して今残るのは高さ5メートル幅15〜25メートルです。その城壁の土塁の中にやたらと多くの素焼きのかけらが混入していました。それはこの城壁が作られる前の時代の名残りかもしれません。 
 
     
  その他、

砂漠の旅の後、ホータンではウテン国の夏の宮殿ヨートカン遺跡と冬の宮殿マリカワト故城などを訪ねました。ウルムチでは博物館、西遊記で有名な火炎山のあるトルファンでは博物館のほかシルクロードツアーの定番である高昌故城や交河故城などを訪れましたが、これらは行かれた方も多く、皆さんが写真を発表したり、感想を述たりしいるので割愛します。
今回の旅で、強く印象に残ったのはウルムチ博物館のミイラ「楼蘭の美女」に代表される歴史の証拠でした。辺境の地はかって高度な文化を誇っていたのが分りました。文明を消した砂漠がその遺跡を大切に守っていたのです。
次が西洋の探検隊による文化遺産の持ち出しです。多くの遺跡が盗掘で抜け殻になっていました。また、トルファンのベゼクリク千仏堂の第33窟は壁画と天井の絵画が残された貴重なものですが、天井の絵画が泥を塗ったように汚されていました。文化大革命の仕業だそうです。西洋や日本の探検隊の難をを逃れた仏たちが、今になって千仏堂を創り、守ってきた民族の子孫から泥を塗られるとは・・
仏たちの気持ちを考えると心が痛みました。
 
 
 
     
 
 
  ヨートカン遺跡で出会った子供たちは素直で愛らしかった   
  ホータン地域は人口200万人で94%がウィグル人です。この地域のウイグル族はペルシャ系で美人が多い。
 
 
     
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