;:

  カメちゃん日記・続編14   
   
 
 
 永平寺参り 
   
 
 
 
 

私のご主人様「無知の旅人」が悩みもないのに、禅道場の永平寺に出かけました。先月、永平寺を訪ねた奥様に勧められたのと、知人から輪島の旅を誘われた為らしい。
以前から、雪景色の中の永平寺で修行する僧たちの写真にを見て、その清らかな崇高さに惹かれていたらしい。でも、真夏に訪ねるのだ、その上、永平寺は修行僧にカメラを向けることを禁じている。分かっているのかしら?
相変わらず無知なのだから、どんな写真が撮れるのか、心配しているカメちゃんです。
 
   
 
     
北陸新幹線「かがやき」(東京駅) ガラス張りの「もてなしドーム」と鼓門(金沢駅)
 
   3月に開通した北陸新幹線を利用して金沢に向かった。10年近く前までは顧問をしていた会社があったので富山や金沢にはよく訪れたものだが、今回その変貌に驚いた。北陸によく行くなら永平寺を訪ねるべきだと知人にアドバイスされていたのを思いだし福井まで足を伸ばした。  
     
  永平寺 .  
     
 
   
 
   永平寺入り口      
 
       
 天地観世音観音像   永平寺川  川の対岸に稲荷堂と地蔵堂   
 
 
   
一葉観音     勅使門(唐門 ) 
 
   入り口左側に「日本曹洞第一道場」と記した石碑がある。禅の修行場だ!門を入り、左右に杉の大木が並ぶなだらかな登り坂を進む。左手の杉の大木の下に控えめに立つ美しい観音様を拝し更にしばらく歩くと、正面に永平寺のシンボル勅使門がある。真夏なので、雪もなく、修行僧も見えず、すこし物足りない。右手の小川の対岸に稲荷堂などがあり、古刹の雰囲気をもり立てている。勅使門の手前左側に、木の葉に乗る珍しい「一葉観音」がある。それほど古くはなさそうだ。観音に挨拶し通用門に向かい伽藍巡りを始めた。  
     
    法堂(はっとう)・・七堂伽藍の一番奥に位置し、説法や各種法要がおこなわれます   
 
   380畳敷の堂内は、須弥壇中央に本尊「聖観世音菩薩」をお祀り中央、階段の左右に阿吽の白獅子が置かれている。天井には八面鏡をつけた天蓋が吊られ、中国宋代の形式を守っている。
七堂伽藍の中で一番高いところにあるので全山を見下ろす景色が楽しめる。
  法堂内部    
 
     
  白獅子の阿吽像   
  法堂からの景色   
 
     
 大きな屋根は大庫院(中央)と仏殿(左)   七堂伽藍は回廊で結ばれている
回廊の先に仏殿
  
     
 回廊内部     回廊内部 
 
     
   仏殿・・永平寺の中心となる仏殿は、中国宗時代様式の二重屋根と石畳の床を持つ美しい伽藍法要中で仏殿内部を見ることができなかったが、本尊は釈迦牟尼仏(お釈迦様  
 
     
山門の中央から望む中雀門
その向こう側に仏殿
 
  「 仏殿」 
     
 法要中で仏殿の中は見れなかった    法要を終え僧堂に戻る僧たち 
   
 仏殿側から見た中雀門   回廊を静かに進む修行僧 
 
     
  承陽殿 ・・ご開山道元禅師の御真廟(お墓)で僧堂宗の聖地ともいうべき場所  
 
     
 承陽門その奥が承陽殿    承陽殿内部 左に歴代禅師の位牌がある 
 
     
   傘松閣 ・・見学者はまずここに案内される。ここは参拝の方方の控え室で156畳敷の大広間で、研修・宿泊の施設もある  
 
     
絵天井の大広間     絵天井
 
     
  総持寺祖院   
   東京に向かう電車が鶴見を通過するころ、車窓から大きな寺院の入り口が見える。伽藍は見えないが参道入り口と大きな森が印象的だ。通学、通勤の途次、この景色に半世紀近く接してきた。しかし、一度も参拝したことがない。実はこれが「永平寺」と並ぶもう一つの総本山「総持寺」だった。総持寺が明治初期に輪島から移転してきたと知り、その祖院を訪ねることにした  
     
  明治40年に本山の機能が横浜に移るまで永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山「輪島の総持寺祖院」  
   世俗の権力に迎合せず、開祖道元が北陸の僻地に曹洞宗の修験道場「永平寺」を創設、宋で会得した禅宗の教えを説いた。永平寺からはその道元の生き様を彷彿させる非日常的な世界が感じ取れる。それとは対照的なのは、もう一つの大本山「総持寺」で、道元の弟子の一人螢山禅師が、能登に創設した曹洞宗道場だ。その後継者峨山は多くの優秀な弟子を育成、曹洞宗を全国に広めた。以来総持寺は時代の流れをよく掴み、変化に対応した活動をしてきた。今年は峨山の650回忌の大遠忌が鶴見の総持寺で行われる、その垂れ幕が祖院の正面入り口にも掲げられていた。曹洞宗の貫首はこの二つの大本山の禅師が2年交替で勤めている。  
 
     
三樹松関 (正面入り口    総持寺祖院大門 
     
経殿    法堂 
     
 法堂   法堂 
     
 回廊で結ばれている鐘    経殿と宝蔵の間の小径
     
 此経難持像     総持寺祖院の海の玄関「黒島」
の廻船問屋角海家住宅
 
     
   総持寺祖院と黒島・・黒島は総持寺の力で、物流と情報の要になっていた  
  江戸時代、総持寺と僅か4キロの距離にある「黒島」は北前船の寄港地として活気のある港街であった。そして、総持寺には500年にわたって、総本山の住職を全国各地の末寺の僧侶が75日交替で務める輪住制があった。輪住制を勤めた僧侶が全国各地と黒島を行き交うのが北前船であった。一人の輪住には檀家や弟子、世話人など百余人の人々がついてきた。その中にはそのまま、寺院の近くに移住した人々もたくさんいた。また故郷に戻る人は能登の産物を各地に広めたので、各地の情報が黒島に集まった。総持寺御用達の盛岡屋は岩手の僧侶の輪住住職についてきた北前船主だ
明治に入り、祖院の焼失を機に新しい時代の交通と情報の要「横浜」に総本山を移し、能登は祖院になった
 
     
     
   21世紀美術館  
   2004年の会館以来、オリジナリティー溢れる建物、展示、試みが世界中の注目を集めている。ここを訪ねるのも今回の旅の目的の一つだ  
 
   
南口    北口  左上方が兼六園
     
屋上に設置された「雲を測る男」像     12このラッパ状の管が屋外に点在し、
その二つが対になり、思わぬ所に声が出る
     
 21世紀美術館に相応しい前庭の椅子   3色のガラスの組み合わせと見る者の
動きで異なる色の景色が創られる 
     
 
   今回は、前衛的な作品群が展示されていました  
     
     
   兼六園  
   21世紀美術館の北口を出ると、道の真向かいに兼六園の真弓坂口がある。20年ぶりの兼六園訪問だ。  
     
  茶亭「時雨亭  
   美術館で歩き疲れているので、園内に入るとまず一休み、入り口近くの時雨亭で抹茶を楽しむことにした  
 
     
時雨亭の庭     
     
とび石の最後に関守石が置かれている   関守石 
 関守石は茶室に至る庭などで客が立ち入るべきでないことを示す縄で結わいた石。留め石ともいう。
 
霞が池周辺 
   
 対岸に橋亭    内橋亭
     
 唐崎松と徴診灯籠   徴診(ことじ)灯籠 
 
逍遙する人たち( 花見橋   手入れする人たち 
     
 雁行橋   この松、何か由緒がありそうですね 
   今は重文だが、以前は国宝だったという前田家の奥方御殿「成巽閣」を見学し、兼六園の庭に戻ると、どこかの雑誌社がモデルの撮影をしていた。(←)

近くの樹の幹が「私も素敵でしょ」と立ち姿を自慢?(→)
 
 花見橋ではモデルの撮影中    ウサギに見える?
 
 変わった幹や根
     
幹のオブジェ    ヘビのように幹が地面を這って伸びる松(時雨亭) 
     
 しっかりと根をハッタ大きな松も   見る方向を変えるとお行儀が悪いですね! 
 
 
 
 
以上です
 
 
  無知の旅人」のトップページに戻る