カメちゃん日記・続編16   
 
     あと数日で冬眠から目覚めます 
谷保天満宮の梅園と湯河原梅園を訪ねました
 
 
   
 
  虫たちが起き出す「啓蟄」と「春分」の間に、私カメちゃんも冬眠から目覚めます。昨年は3月17日でした。今年もまもなくです。私の隠れ場所になる蕗も花を咲かせ葉も大きくなり、梅にくるメジロが待ちわびているかな?  
 
   
 
     
 蕗の花   蕗の花 
     
早く起きないと梅も散ってしまうよ     梅の花
     
 今年はヒヨドリに追い立てられる
ことも少なく、楽しんでしま
   
     
    お部屋のシクラメンもカメちゃんの噂をしています 
 
   谷保天満宮  
  梅といえば天満宮・・・昨年関東の3大天満宮の湯島天神と亀戸天神をお参りしたので、今年は残る一つの谷保天満宮を訪れた。菅原道真の3男道武が建てた関東最古の天満宮である。  
 
     
谷保天満宮入り口 
石段を下って境内に入っていく
本殿 の脇に天満宮ではお馴染みの
神牛と合格祈願の絵馬棚
     
子連れ狛犬(雄    子連れ狛犬(雌)  
 
 谷保天満宮には国指定の重要文化財「木造の獅子狛犬」がある。公開日でなく残念ながら拝観できなかった。本殿前の大きな狛犬は珍しく子連れで、親に甘える子獅子が可愛く、思わずカメラを向けた。  
日野の渡し、谷保の渡し
谷保天満宮の300mほど上流に、「日野の渡し」がある。江戸に向かう人々は、ここを過ぎると江戸に着いたと思ったらしい。江戸を離れる道は、多摩川の河岸段丘(高さ数メートルだが)を登り、天満宮の北側を通る。正面の鳥居から石段を下って境内にはいる変わった構造はこの為である。
江戸中期まで甲州街道が多摩川を横切る渡しは谷保にあり(谷保の渡し)街道は天満宮の本殿より下を通っていた。当時は参道をのぼり境内にはいる一般的な神社の姿であったそうだ。
本殿が崖線の下にある為、境内至る所に湧水があったという、いまでも幾つかあり、その一つ「常磐の清水」は東京都の名湧水57選に選ばれている。
 
     
 
 境内の絵馬棚の後ろ、崖に沿って湧水からの小さな流れがあり、
鳩が水中の虫を探して食べていた。
 
 天満宮なのでここにも350本程の立派な梅林があり、紅白の花を誇っている。  
 
     
     
     
 
     
    南部鉄道が駅名を「やほ」としたため、地名の谷保までも「やほ」と呼ばれるようになったそうだが、本来の呼び方は谷保(やぼ)天満宮である。江戸時代の狂歌師蜀山人が「神ならば出雲の国に行くべきに目白で開帳やぼののてんじん」と詠んでいる。ここから「野暮天」や「野暮」の語句ができたとの説もあるが定かではない。それ以前から語句があり語源は「野夫」が「野暮」になったとの説もある。  
     
     
   湯河原梅園・・・フォトクラブの撮影会に参加  
   「幕山」の岸壁を背景に、湯河原梅林は広がっている。幕山は箱根火山活動でできた溶岩ドームの山で、柱状節理の岸壁が歌舞伎の幕のようなので幕山と名付けられた。  
     
 
     
 幕山ン麓斜面に広がる梅園   若者たちがリードクライムの岸壁に向かう
     
石が点在する急斜面にも梅の木    岩壁が間近に現れる 
 
   校友会の撮影会に参加するといろいろ学ぶことが多い。写真では大先輩の大学の後輩たちが、いろいろ教えてくれる。また、その後の月例会で仲間の作品を見るのも楽しい。今回は撮る前に構図をしっかりイメージすることの重要性を教えてもらった。
左下の写真「水仙と梅」は菜の花に埋もれている小さな水仙を取り上げ、構図の指導を受けたもの。右下の「菜の花と梅」はその直前に同じところで撮ったものだが、景色の転写に終わっている。
 
 
   
 「水仙と梅」
先達の指導で撮す前に構図を決めた
   「菜の花と梅」・・構図など考えずに撮った平凡な風景写真
 
     
   以上です  
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