戦場ヶ原の散策     
   
  今年もそろそろ冬眠に入る季節になりました。
私のご主人様「無知の旅人」は、私のことを忘れ奥日光の散策です。
草紅葉は盛りをすぎ、森の紅葉は始まったばかりなのに・・・また、帰りに立ち寄る東照宮は陽明門が平成の大修理にはいり見れないのを知っているのかな。修理が終わるのは6年後だそうですよ。やはり無知ですね!
本当は金谷ホテルのフランス料理が目的なのかな。
    気がかりで冬眠に入れないカメちゃんです。 
 
   
   大渋滞    
 
   紅葉の時期になるといろは坂の渋滞がテレビで放映されるので、ある程度は覚悟していったのですが、3連休の中日とかさなったとはいえ、下今市から普段は2時間弱で着く筈がホテルまでに5時間強かかり着いた時はあたりは暗くなっていてその日予定していた湖上遊覧などは翌日時間があればと延ばさざるをえなかった。
   
 
 ロッジ風の中禅寺湖金谷ホテルは、料理は金谷ホテルらしいくまあまあのものだったが、建物は20年前に 建て替えたとのことで、内部も古い面影は少なく平凡であった。離れた露天温泉には外を通る。その時眺めた星空が美しく印象的だった。翌朝玄関を出た時、色づいた庭木も目を楽しませてくれた。
 
朝日を浴びるロッジホテル 玄関前の羊のベンチ 
   
  戦場ヶ原
一万年以上前に噴火した男体山の溶岩で湯川が堰き止められ、堰止め湖が生じそこに土砂が蓄積し、現在のような湿原にとなったそうだ。湯の湖を出た湯川が戦場ヶ原を縦断し竜頭の滝を経て中禅寺湖に注いでいる。
この湯川に沿ったハイキングコースは木道が整備されており、高齢者にも優しい道だ。
光徳牧場近くの国道から入ると、湿った土に強い赤い実をつけたズミや白樺、イヌコリヤナギの林道を楽しめる。湿原に近づくにつれ背が低くなる。道も土から木道に替わり、湿原へと進む。湿原の中にも小さなカラマツや白樺が多く見られる。皆背が低く幼木のように見えるが戦前に植林したカラマツなどは50年以上の老木が多いとのこと。それだけ厳しい環境なのだろう。
歩き始めてから30分あまりで湯川に出会い、湯の湖からのコースに合流した。ここから、赤沼を目指す。
   
 
   
歩き出した出した光徳入り口付近   林間のコースが気持ちよい
     
赤い実をつけたズミ(別名コリンゴ)の群生    湿原の木道は良く整備されている 
     
盛りを過ぎ少し色あせた草紅葉    ススキも枯れていた 
     
30分あまり歩くと湯川に出会った。
ここで湯の湖からのハイキングコースと合流 

川の流れの底が赤っぽい色をしているのはこのあたりの湿原に含まれる鉄分が自然に出てきたもので、赤沼近くでも見られた
  地盤が弱く木の根が張りにくく大きな木があちこちに倒れている 。それらの根は土が流されて、ユニークな景観を見せていた自然が創り出すオブジェが色々楽しめる。
     
 木の根のオブジェを通してみた湿原   このあたりでは草紅葉がまだ楽しめた 
     
 厳しい環境に生き抜いてきた小さな老木   木々の紅葉も楽しめた 
     
木道が終わり、
川に沿ったコースは竜頭の滝へ 
  我々は紅葉を楽しみながら川から離れ
赤沼茶屋へのコースを辿った
   
     
       
   竜頭の滝    
   赤沼で別れた湯川はこの後、竜頭の滝を経て、中禅寺湖に注ぐ。竜頭の滝付近は日光でも紅葉が一番早く、毎日の様にテレビで紹介されていた。その為もあって、観光客で賑わい交通渋滞の一因になっている。渋滞のお蔭で車窓からゆっくりと滝を眺めることができた。    
 
   
       
   中禅寺湖
戦場ヶ原より古い2万年ほど前の男体山の噴火で出来た堰止め湖で、流れ出る水はで有名な華厳の滝を作る。残念ながら紅葉は始まったばかだった。
   
 
     
     
男体山の麓に広がる湖    紅葉は始まったばかり 
     
中禅寺湖に浮かぶ唯一の島、上野島
日光山の開祖 勝道上人の骨納塔、
慈限大師(天海)の墓石等がある
  紅葉は始まったばかり 
 
   
   クラシックホテル・・日光金谷ホテル    
  連休明けでいろは坂の渋滞が解消され、早めにホテルに着いた。
クラシックホテルといえば奈良ホテル旧館を思い出す。日光金谷ホテルはそれ以上の歴史があるというので興味があった。確かに歴史は古い。ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士のアドバイスで日光東照宮の楽士であった金谷善一朗が金谷ホテルの前身である金谷カッツテージインを開業したのが明治六年(1878年)だという。今年から140年前だ。20年後の明治26年に右に見える本館の2階3階部分(1階は昭和初期の改修で増築)で洋室30室の金谷ホテルが開業した。2階3階では東照宮の内部の装飾を模写したり、モチーフにしながら和洋折衷のすてきな雰囲気を醸し出している。今でも披露宴どに使われているダイニングルームの入り口右の当時の食堂はすばらしく日光東照宮などを支えてきた当地の職人たちの技に感銘を受けた。
明治42年(1909年)関西の準迎賓館として開業した西のクラシックホテルの横綱奈良ホテルとは違った雰囲気を持っている。
   
 
   
日光金谷ホテル 左が本館右が別館     本館入り口の木製の回転ドア
左上に創立140年の看板が
     
木が色づき始めた 中庭から見た別館
外観の雰囲気が奈良ホテルに似ている
  荘重な別館入り口 
     
別館2階のコーナールームの客室は落ち着いた雰囲気であった窓から見えるのは本館    左側の窓から東照宮の方角を望む 
     
   
  参考 ・・日本のクラシックホテル     
  クラシックホテルの定義は知らないが、明治以降に出来た洋風ホテルで、それぞれの地域の発展に貢献した名門ホテルとすると 明治6年創業の日光金谷ホテル、明治11年創業の箱根の富士屋ホテル、明治27年創業の軽井沢万平ホテル、明治42年創業の奈良ホテル、昭和2年開業だが横浜の顔ともいうべきおなじみのホテルニューグランドなどはその資格があるようだ。
中でも、民間の篤志家が外人観光客の為情熱を燃やして創り上げた日光金谷ホテルと鉄道院が準迎賓館として推進し創った奈良ホテルとの対比が面白い。
   
 
     数年前、奈良ホテルのオーナー企業の役員をしていた知人から「旧館は設備が古いが味わい深い良さがある」と勧められ旧館に泊まり、奈良の紅葉を楽しむ旅をした。
旧館では大正、昭和初期にタイムスリップしたような経験が楽しめた。また、赤い絨毯の廊下など東京ステーションホテルに似た感じで驚いた。聞いてみると設計者は東京駅駅舎を手がけた辰野金吾と片岡安のコンビであった
本館の内装は桃山風の豪奢・華麗な意匠とドイツ風の重厚な意匠が混在した和洋折衷様式で落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 奈良ホテル玄関    
 
   
       
       
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