辺境のアルバム3   
   石油の街カラマイ周辺の景色  
   新疆ウィグル自治区は中央に天山山脈が横切り、その南側は、チベット高原北部のクンルン山脈までがタクマラカン砂漠で有名なタリム盆地で、シルクロードの主な舞台である。さて、天山山脈の北側がジュンガル盆地で砂礫の砂漠が広がり、騎馬民族の故郷であった。盆地の北東はアルタイ山脈でロシアやモンゴルと接している。
 カラマイの石油と魔鬼城の生い立ちには、地球の歴史から見ると面白い共通点を持っている。今から1億年以上前の恐竜の全盛期は、爬虫類の時代と呼ばれるジュラ紀後半から白亜紀前期の時代の自然が地下に閉じ込められて石油となり、この時代に堆積してできた岩石の一部が地上で風雨にさらされて魔鬼城となったと言われている。
 
   
 今回取り上げるのは、ウィグル第2の都市カラマイの市街地近くにある黒油山とその北方100キロに位置するウルフ市の魔鬼城である。どちらも、長い間、歴史に名前がでることが無い辺境の草原だった。ところが、油田が開発されカラマイ市がここ半世紀ほどの間に産業の主役として躍り出てきた。そのおかげで、ウルフにも観光客が押し寄せるようになった。
 
 
 
   採油場の中を縦断するカラマイやウルフへの道  
     
   ウスの少し手前でハイウェー国道312号を降り、217号線を北上する。いよいよ騎馬民族の故郷ジュンガルの草原である、草原と言っても上の写真のように砂漠の草原である。ジュンガル盆地の東部はグルバンテュンギュト(古爾班通古特)砂漠といって、タクラマカン砂漠につぐ中国第2の砂漠である。固定、半固定砂丘が大部分で、タクマラカン砂漠のような移動砂丘は3%にすぎない。したがって牧草が豊富で、ヒツジや馬などの放牧に適している。  
   
   
 
   左(西側)前方の山陰が濃くなる頃から道の両側に採掘井戸が現れ、カラマイ市が近くなった  
   
   
 
     
   油田の中心地カラマイ手前から魔鬼城のあるウルフ近くまで、
国道の両側は道端までくみ上げの井戸が迫り、その奥に見渡す限り油田が広がる。
 
     
   カラマイと黒油山  
   カラマイは石油の富で街もきれいだし、ホテルも立派だった。素敵な郷土料理の店もある。1955年に中国がここで石油開発を始める前は、この乾燥した砂漠地帯にほとんど人家がなかった。砂漠の中の街だが、20008月、463キロ離れた地点からカラマイに水が引かれて、経済建設と生態保護のボトルネックを解決し、カラマイの持続可能な発展を実現する条件をつくり出した。

カラマイのダウンタウンから北西2キロほどのところに、今でもコールタールが湧き出ている「黒油山」と呼ばれる丘がある。丘といっても高さ13メートル広さは200メートル四方の小さなものだ、100万年前から湧き出したBlack Oil が固まってアサファルト状の丘を作り上げた。今でも記念碑のある頂上付近では、Black Oil が湧き出ている。
入り口の石碑の説明では、1940年頃、ここに来たウィグル人のサリムという老人がこの黒い土の塊が燃えることを発見、この地に定着し、塊を集めロバの背に載せ、100キロほど南のウス(ここに来るとき高速道路を降りたオアシスの街)に売りに行き、生活物資を入手したのが、この地の石油利用の始まりと伝えられている。
 
     

       
   黒油山の正面入り口 頂上にある記念碑と手前のオイルの湧出池   
       
  頂上付近にあるサリム老人の像  雲を映すオイル池の鏡面   
       
  丘のあちこちでオイルが流れ出している。  丘の先の方にはオイルのくみ上げ井戸が並んでいる   

  魔鬼城  
  ジュンガル盆地には東と西に風の侵食による大きな「魔鬼城」がある。もっともその他にも、ウィーグル地区には魔鬼城と呼ばれる景観がかなりあるようだ。 ウルフの魔鬼城は西の魔鬼城でカラマイから100キロほど北東にある.。
 一億年ほど前、この地方は大きな湖とそれを囲む豊かな森林で、恐竜などの古代生物の楽園であった。その後の地殻変動で湖に堆積した土が隆起し風に侵食され、この景観を作ったとのこと。カラマイの石油も当時の自然の恩恵であろう。風景から人々は、ここに魔物が住んでいるのではないかと思ったのであろう。 
 
     
     
 
   
 
 
   土と砂礫の草原の中に、古い砦のような「建物」が見えてくる。これはウルフの魔鬼城で人工物ではなく、自然のいたずらである。魔鬼城の総面積は約120平方キロで、東京23区の五分の一くらいの広さだ。一望すると視野が果てしなく広がっているようだが、実際はその地形はかなり複雑だ。観光客はバスで周遊する。魔鬼城の中心部の風景区は、道路標識に従って歩かないと、魔鬼城の奥地に誤って入り込み易い  
     
  魔鬼城を、地元のカザフ族は「シャイタンクルシ」と呼ぶ。「魔物が出没する場所」を意味だ。砂山や岩石が連綿と続いたり、ぽつんと聳え立ったりしていて、城のようで城ではなく、果てしなく広がっている。そうした風景から人々は、ここに魔物が住んでいるのではないかと思ったのであろう。   


  次回の「辺境のアルバム4」は精河周辺の景色です。   
     
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