イスラエルの旅  
  聖書知らずの聖書の旅   
   T 無知な旅人  
   
  イスラエルの旅に誘われモーゼの足跡を辿ることになった。イスラエルの入国の都合で「聖書の旅」になっているそうだが、仲間の多くは敬虔なクリスチャンであった。私には「聖書知らずの聖書の旅となった」
従って、今回も無知な旅人の浅はかな見聞録で、記述内容が正しいかどうか保障の限りではないが、写真と拙い文章から雰囲気を感じ取って頂ければありがたい。
 
 
     カイロ博物館のツタンカーメンの展示室で、黄金のマスクと棺やその他の副葬品から、古代エジプト王朝の絢爛豪華な日常を垣間見た後、ツタンカーメンは18王朝のファラオである。モーゼの出エジプトの時期については諸説があるが、19王朝のラメス2世治下の紀元前1290年頃と想定されている。ツタンカーメンの50年ほど後だが、3000年以上前のことだ、ほぼ同時代と考えてもよいであろう。
翌朝、カイロからシナイ山に向う専用バスは、最前列に護衛のためマシーンガンをもった観光警察が乗っており、中東の緊張感を肌で感じることになった。
 
     
   U シナイ山のラクダは楽だった!
 
     
    モーゼが十戒を授かったシナイ山山頂で仰ぐ朝日、  
    スエズ運河を渡り、シナイ砂漠を横切り、シナイ山の麓に向う。途中モーゼに導かれたイスラエルの民が、神から豊かな水を与えられたオアシスに立ち寄り、オアシスが見下ろせる小高い丘の上で、リーダーの松尾画伯が旧約聖書を朗読された。それを聴いて、にわか巡礼の私も少し敬虔な気持ちになる。  
     
   モーゼに導かれたイスラエルの民が神から豊かな水を与えられたオアシス。
左手前の山がアマレク人と戦った際モーゼが神の杖を高く挙げた山
この後、モーゼはシナイ山で十戒を授かる
 
     
   映画「十戒」のシナイ山はここが舞台(モーゼの山はこの裏側) 
麓の山小屋風の石作りの小屋は宿泊したホテルの客室
 
   
   
 シナイの山の麓にあるホテル
 セントカテリーナビレッジに泊まる
 
 
  その晩宿泊したセントカテリーナビレッジは、夕日を浴びて美しく輝く岩山の麓にあった。山小屋風の石作りの小屋が点在する趣のあるホテルだ。画伯もこの岩山の絵を何枚か描いておられるとのこと。 。  
    午前2時半にそこを出て、近くのセントカテリーナ修道院(標高1500m)の前からラクダに乗って、シナイ山(標高2285m)に登った。気温も低く冷たい風に悩まされたものの、丁度満月の日に当たり、月明かりの中をラクダの列が岩山を登っていくのはなんとも幻想的で素晴らしい経験だった。
 昨年旅したタクマラカン砂漠をラクダで行く」では無知の旅人の勘違いとして、「ラクダは楽でない」と報告したが、シナイ山のラクダは一瘤ラクダで、少し小柄なせいか、乗っていてもお尻が痛くない。ゆっくりと登っていくラクダの揺れに身体を任せていればよい。山頂近くのくびれた谷間近くまで、ラクダで登れる。モーゼの山頂は、ラクダを下りてから900段の階段を登らねばならない。
 
   
   
登山客を降ろし、帰りの客をを待つラクダたち  山頂でご来光を仰ぎ、
神との触れ合いを体験し
感動して下山する巡礼者た 
 
   V 知らなかったのは聖書ばかりではなかった  
 

イスラエルの旅に誘われてから、慌ててユダヤの歴史を調べるやら、旧約聖書のダイジェスト版に目を通すなどしたものの、「なにも知らない」ことを自覚しただけだった。今回も、相変わらず泥沼的な浅はかな知識を持って出かけることになった。もっとも「聖書の旅」に便乗した観光が目的なので仕方がない
 エジプトからイスラエルに入るとホッとする中南米らアメリカ西海岸に戻ってきた感じだ。イスラエルの入り口でもあった最南端の保養地エイラットに入ってきた。この時感じた街の雰囲気はアメリカ西海岸にそっくりである。早速、アメリカ風のステーキハウスで昼食をとったが、安心して生野菜を食べられたのが何よりだった!
この後エイラットの海でのクルージング、死海、南部のネゲブ砂漠のベドウィン部落やキブツ(ユダヤ人の共同体社会)、ゴラン高原の野生の花畑などなど聖書に関係なく素敵な自然と人の営みが訪問者を満足させてくれた。
こんなに素敵な土地だとは知らなかった

 
     
     
     
    「無知の旅人」のトップページに戻る