天馬の故郷で馬に乗る
  −天山北路の旅− 
   
 
モンゴルからジュンガル盆地を経てカザフスタンに至る天山山脈北の草原地帯は、紀元前から遊牧騎馬民族が活躍した舞台で、駿馬の産地である。   
 
   この駿馬は別名「汗血馬」とも呼ばれる。血のような汗を流して走る馬の意味らしい。この馬を得た後漢の武帝が「天馬」と褒め称えてことから天馬ともよばれるようになった。 
中央アジアの草原地帯は、天山山脈の南側の乾燥地帯とは大きく景観を異にしている。昨年は砂漠が見たくて、タクマラカン砂漠のラクダの旅に参加し、乾燥地帯を訪ねた。また今年の春、ユダヤの民に神の存在を感じさせた砂漠の岩山に魅かれ、「聖書の旅」に参加した。その時訪れたシナイ半島とイスラエルの砂漠もアジアの乾燥地帯の延長で西の端にあたる。
今回は遊牧騎馬民族が駆け抜けた草原を見たくて福岡の中本乗馬クラブが毎年主催する旅に参加した。メンバーは昨年とほとんど同じで気心の知れた人たちである。それぞれの領域で活躍されておられ、博学で学ぶことが多い。それも楽しみのひとつだ。
 
   
 標高2073mの高地にある塞里木湖(サイリム湖)  湖畔の丘を馬で散策
 
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  騎馬民族が駆け抜けたジュンガル盆地の草原 
   ウルムチまでは昨年と同じで、今度は辺境の地に降り立つ心のときめくもなく、冷静に、新興都市の一年の成長を眺めることができた。
 翌朝早くウルムチを出発、500キロほど北にある石油の中心地カラマイに向かう。ウルムチから天山山脈の麓に沿って最高120キロで走れる高速道路がある。この道路に沿って、天山山系からの雪解け水を利用した豊かなオアシスが点在する。高速道路は石河子、精河などの街を通過し、最後に山脈を横切りカザフスタンとの国境の町伊寧(イーニン)に至る。途中まだ工事中の所もいくつかあるが、中国西域の発展を象徴するような素晴らしい道路だ。
 山脈を横切る峠近くで今回の目的地の一つである塞里木湖(サイリム湖)の湖畔を通る。
ウルムチとサイリム湖のほぼ中央に位置するウスで高速道路を降り、北に向かう道をとった。その先に石油の中心地カラマイがあるので、道はよく整備されている。この道の右側はジュンガル盆地の草原が果てしなく広がるっている。かってフン族がここらから出てヨーロッパに侵攻、それがゲルマン大移動を引き起こす原因になったことなど歴史上の舞台に思いを馳せていると、まも なく油田の採掘井戸が見えだしてきた。
  油田の中心地 カラマイではコールタールが地上に湧き出ている。 
 
   
 黒油山」の上にあるサリム老人の像 丘の先はオイルのくみ上げ井戸が並ぶ 
 
   カラマイのダウンタウンから北西2キロほどのところに、今でもコールタールが湧き出ている「黒油山」と呼ばれる丘がある。丘といっても高さ13メートル広さは200メートル四方の小さなものだ、100万年前から湧き出したBlack Oil が固まってアサファルト状の丘を作り上げたと書かれている。今でも記念碑のある頂上付近では、Black Oil が湧き出ている。
1940年頃、ここに来たウィグル人のサリムという老人がこの黒い土の塊が燃えることを発見、、この地に定着し、塊を集めロバの背に載せ、100キロほど南のウス(ここに来るとき高速道路を降りたオアシスの街)に売りに行き、生活物資を入手したのが、この地の石油利用の始まりと伝えられている。
 
   
 
  油田の中心地カラマイの近郊から魔鬼城のあるウルフまでの100キロ近く、国道の両側は道端までくみ上げの井戸が迫り、その奥に 見渡す限り油田が広がる。 
   
シルクロードは交河古城や高昌古城のあるトルファンで三つに別れる。今回辿ったのは、天山山脈の北を通り伊利河に至る天山北路と呼ばれる草原の道である。
 一般にシルクロードというと天山山脈の南側の山麓やタクマラカン砂漠の南側崑崙山脈の麓を通ってカシュガルに達するオアシスの道で、遺跡も多く、従って観光客も多い。一方、草原の道は訪れる人が少ないらしい。ウルムチの旅行社から加わったウィーグル族のガイドさんも、精河から先は初めてとのこと、カザフ族の運転手も3年前に行ったことがあるという心もとなさだ。しかし、僻地の旅になれている仲間たちはむしろそのことを楽しんでいるようだった。
石油のお陰で経済活動が活発なカラマイはウルムチのような大きな都会で住民は70%が漢民族だという。ここまでは道もよく、ホテルは快適であった。昨年近くを訪れたトルファン・ハミの油田とあわせ、ウィグルの工業発展の50%以上を石油関連が担っている。その中心がウルムチで、そこから上海までは液体燃料のパイプラインが完成している。
旅の楽しみは、土地の人たちの料理だ、カラマイで同行しているウィーグル族のガイド嬢の案内で美味しいウィーグル料理を堪能でき、幸せの気分になった。 
   
  ウルフの魔鬼城 
   
  風で侵食された岩が古城の廃墟のような景観を作っている魔鬼城 
 
   
 
   ジュンガル盆地には東と西に風の侵食による大きな「魔鬼城」がある。もっともその他にも、ウィーグル地区には魔鬼城と呼ばれる景観がかなりあるようだ。
 ウルフの魔鬼城はカラマイから100キロほど北東にある西の魔鬼城である。カラマイから近いので観光客が多い。
 トルファンの「交河故城」や「高,昌故城」に似た奇岩が延々と続いているが、こちらは人工物ではなく、自然のいたずらである。一億年ほど前、この地方は大きな湖とそれを囲む豊かな森林で、恐竜などの古代生物の楽園であった。その後の地殻変動で湖に堆積した土が隆起し風に侵食されこの景観を作ったとのこと。この近くで多く産出する石油も当時の自然の恩恵であろう。
来た道を戻り、カラマイに寄って昼食を取った後、100キロほど南下し、サリム老がタールを売りに行ったウスから再び高速道路を利用 して精河に向かう。
   
 
   
 
   精河クコ(枸杞)の産地である。クコを干している市場の片隅で女性たちが不良品をえり分けていた。ここから全国に出荷される。
   前日通過した石河子や今日泊まる精河は、50年ほど前からの屯田兵により開拓されたオアシスで、中心部はよく区画され、大きな道路が縦横に走る。郊外には、灌漑工事でできた大きな田園風景が広がる。その先端では今も砂漠の緑化事業が進んでいる。住民はウィーグル族やカザフ族が中心で、古い中国がそのまま残り、西域の名残りすら感じ取れる。しかしここばかりでなく、これから訪れる博楽(ボルダラ)や伊寧(イーニン)のような古い街にも石油で潤う行政府のインフラ投資が積極的に行なわれている。西域の地方都市にも、確実に近代化と消費景気の波が押し寄せている。 
   
  美しいサイリム湖に着く 
   
    精河から一般道で北に走り、鉄道が横切る国境の街を訪ねた。アイビ湖の先にあるこの町は山から吹き降ろす風が一年中吹き荒れるているそうだ。訪れる人もすくない。
戻りは別の道を通りジュンガル西部の古い町ボルタラに寄り昼食をとった。ボルタラとイーニンの間にはサイリム湖を経由する定期バスが運行している。ここもこれから行く湖もイーニンの経済圏に入るのかもしれない。目的のサイリム湖が近づいている
   

高速道路とはいえ、工事中が多い、長い登り坂に飽きた頃、突然湖が見えてきて、皆興奮をかくせない。 ホテルの近くだけ人の賑わいがあるが、週末のなのに、観光客はそれほど多くない。ここに泊まる観光客はほとんどパオに泊まる。我々の泊まるところは唯一のリゾートホテルでバストイレ付きの客室が10室ある。しかし、お湯はでない。電気も日が暮れてから夜中の12時まで、その後は懐中電灯がないと手洗いにもいけない。
 
  その代わり、夜空の星は美しくたくさん輝いている。この美しさは不便さを補って余りある。
しかし、寒いのには閉口した。2000mの高地で砂漠だ。夜は12月上旬の寒さで、もちろん部屋には暖房などない。ありったけのものを着込んで寝ることにした。
 翌朝早く窓から外をみると、家畜を追って出かける土地の人は厚いオーバーをきこんでいる。幸い馬に乗る頃は天気がよく、10月中旬のさわやかな気候となった。 
   
   
   
   
   我々が泊まった湖畔唯一最高の(?)リゾートホテル木造建物の客室数は10室であとはパオなどのバンガローになる。
   
 上の写真中央の大きなパオの中で
ウィグル美人の歓迎を受ける
後ろに見える絨毯画の人物はジンギス・ハン
 
   ホテルの前に集められた馬は、頭が小さく足が細い、天馬の後胤かもしれない。しかし実際に乗ってみるとポコポコ歩くだけで、腹に蹴りをいれてもなかなか早く走らない。観光用の駄馬かと思ってしまう。流石に中本先生は先頭に立って山道を駆け上がっていく。馬の所為ばかりではなさそうだ。馬は慣れているのか羊の群れの中を横切り、山道で小さな沢を横切る時の急な斜面も難なく上り下りする。流石に天馬の後胤である。
湖面から2〜300メートルほど標高の高い山の中腹まで2時間ほどかけて往復した。素晴らしいハイキングコースだが、二千メートルの高地である、馬に乗らなければとても登れない。空は青く、深い湖はそれより濃い青さである。この景色を満喫できただけでも、遠く旅してきた甲斐があった。
この後立ち寄ったイーニンで天馬を飼育している施設があるというので訪ねたが、今は遠くに放牧していて、純粋の天馬に遇う事ができなかった。

  伊寧(イーニン)から再びウルムチへ 
  伊寧(イーニン)は伊梨川ぞいの大きなオアシスの町で昔から交通の要所である。近くに清代に建設された恵遠古城などの歴史的な建造物などがある。ウルムチとの間に定期航空便があり我々も古城などを見学した後、空路でウルムチに戻った。 
ウルムチではこの3月に新装なったウルムチ博物館で「楼蘭の美女」と一年ぶりで再会することができた。
今回の旅の最後の目的地であるウルムチの「天山第一氷河」が水源工事で行けず、
有名な観光地「天池」を訪れた。ここはケーブルもあり多くの観光客で賑わっていた。
天池には行かれたかたも多いので、この報告では割愛する。
   
   天馬の旅・・余話
    .知ってますか? 
ウィグル美人の眉毛が繋がっているのを
    今度の旅では現地語が話せる若いウィグル族の美人ガイドに助けられた。ウィグルの公用語は漢語とウィーグル語の二つで、彼女は仕事は漢語で家に帰るとウィグル語で生活しているという。ウルムチ大学でパソコンを専攻しながら、独学で日本語を学んだ才媛である。
 
 
 ウィグル族の女性は左右の眉毛が繋がっているのが美人だそうだ。
ガイド嬢も例外ではなかった。
   
  以上,です。 長い報告にお付き合いして頂き、ありがとうございます。 
   
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